2008年3月5日水曜日

トバイアス・ウルフの仕事部屋

 最新号の"poets & writers" の中に大変面白い、というかとても個人的に共感できるトバイアス・ウルフのインタビュー記事が載っていた。日本語には翻訳されていないと思うけれど、彼はあのレイモンド・カーヴァーとも親交があった、短篇小説の名手として知られている人で、少年時代のレオナルド・ディカプリオが主演した映画「ボーイズ・ライフ」の原作者でもあります。ちなみに「ボーイズ・ライフ」はノン・フィクション。現在はスタンフォード大の創作学科で教鞭もとっています。
 彼のインタビューには色々興味深いことが書いてあったけれど(ゴードン・リッシュによるカーヴァー初期作品のハード・エディティングについての彼の意見は面白い)、僕が一番興味を持ったのは彼が物語を書くときの方法というか、物語への姿勢というかそういうこと。例えばウルフはこんなことを言っています。

 「私はただ、物語を途中で放り投げてしまう習慣に陥ってしまうこと-そしてそれはとても簡単に習慣づいてしまうことなのだけれど-を恐れているんです。なぜって私が物語を書いているときは、どう考えたってそれがうまくいきそうに思えないから。例えそれが今私がどれほど誇りを持っている作品でもね。もし私が、物語がどうような方向をとるか分からない瞬間のために、物語を途中で投げ出してしまうような習慣を身に着けてしまっていたら、私はたぶんそれほど多くの作品を残してなかっただろうな。まぁ、実際私にはもともとそれほど沢山の作品はないけどね。私には長い作品リストなんてないんだ。でも恐らくそのリストは随分と短くなってたと思うよ、もし私が物事の最後まで見通す習慣を身に着けてなかったらね。」

 僕なんかはこういう話を作家の口から聞くとなんとなく安心してしまう。このブログの最初の記事で書いたアーヴィングの話と比べてみて欲しい。物語の方向性に対してとても自信に満ちたマッチョでムキムキのアーヴィングとは違って、ウルフは物語の行く末がいつも見えているわけでは決してない。うまい具合に物語の方向が見えなくて、そこから逃げ出したそうになっているようにすら見える。こんなこと言うと失礼かもしれないけれど、ウルフはアーヴィングに比べてとてもひ弱で、人間味に溢れている気がする。小説を書くというのはとても楽しいことではあるけれど、決して楽じゃないのだ。同じようなことを志賀直哉も言っていた気がする。そういうことを正直に言われると、とてもホッとするのは僕だけだろうか?
 だからウルフは書き物をするとき、スタンフォード大の図書館の地下にある小さな部屋に閉じこもるらしい。そこはとても孤独な空間で、窓も絵画もなく、あるのは蛍光灯だけ。電話もファックスもインターネットも、本すらない。「そこは仕事をするにはいい場所だよ」と彼は言う。そこに行くときは「自分の頭の周りをカヴァーで覆う」ようなものらしい。たぶん何か、それがどんな些細なものでも、物語の邪魔をするようなものがあったら、彼は物語から逃げ出したくなってしまうのではないだろうか。そういう物が何もない空間でウルフは自分の物語に集中し、自分の物語に最後まで徹底的に付き合っているのだと思う。そういう作家の仕事部屋を想像するのは素敵だし、そういう話をとても素直に話すことができるというのもとても素敵なことだと思う。
 きっと物語にもとても正直な人なんじゃないかな。

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